「現実はこうではない」  会社の帰りにいつも立ち寄る古本屋で奇妙な本を見つけた。  「…なになに…悪魔召還の書…?」  心では(馬鹿言ってんじゃねーよ)と思いつつ、本をパラパラとめっ くていると、これがなかなかきちんとした本らしく、ちゃんと理論立て て書いてあるようだった。  「…でも、こういった本って大抵山羊の皮なんかに書いてあるものだ と、何かの本で見たことがあるのだが…」  そうつぶやきつつ、本を書棚に戻そうとしたが、本が手から放れない …いや、この場合こういった表現を用いた方がなんとなくオカルトっぽ いのでこう言い表したが、現実はこの本の内容が気になって自分自身が この本を手放したくないだけである。  自分の心底に潜む欲望に負けて、この本を持ったままレジに向かった。  レジにいる古本屋の親父に本を渡すと、親父は表紙を見てハッとなり、 そして不気味な笑いを浮かべ、  「兄さん、この本を買いなさるのかね?」  「はい…何となくこの本の内容が気になったものですから…」 と、親父のいつもの不調面からは想像もつかない不気味な笑顔に圧倒さ れながらも答えた。  「…そうかい…」  「ねっ値段はいくら…?」 と上擦った声になってきた私の問いに親父は  「タダでいいよ…どうせまたここに戻ってくるのだからね…ヒッヒッ ヒ」 と変な笑い声をあげた…と言うやりとりはなく、実際には私は黙ったま まこの本を古本屋の親父に渡し、親父は本を受け取ると裏表紙を見て、  「千二百円」 と、言っただけであった…  レジで勘定を済ませ、袋に入った本を小脇に抱え家に帰宅すると夕食 もそこそこに、私は本を読み始めた。  本の内容は、一見難しいことが書かれているようであったが、各章の 後に詳しい解説が書かれていたので、それを見ながら本章を読み返すと、 以外とすんなりと原理が理解できた。  内容が自分の心を引きつけて離さなかったため、つい夜通しで読みふ けってしまい、翌日会社で眠気に耐えるのが辛かった…  そうして数日の間昼は睡眠不足で朦朧とした頭で会社で仕事をし、夜 はなぜかあの本を読むと目が本から離れなくて夜通し本を読みふける日 々が続いた。  そのためある日、寝不足のため重役の方々が出席している会議で居眠 りをしてしまい、課長から延々嫌みを言われてしまった。  以前からこの課長は気に入らなかったのだが、今日の嫌みの連続にこ こ数日の睡眠不足も手伝って、私はとうとうキレてしまい、家に帰って この本に書いてある通りに悪魔を召還して課長をやっつけてやろうと 思い、部屋を片づけ本に書いてあるように魔法陣を書き、悪魔召還の道 具をその周りに配置し、召還の呪文を唱えた…  …すると果たして、魔法陣の中央から白い煙が上がったかと思う まもなく左回りにぐるぐると渦巻き状に回転を始め、視界を奪った。  そして煙が晴れると、魔法陣の真ん中に人物らしきものが片膝をつき 右手を胸にあてて畏まっている姿が現れた。  「貴方様の召還に召されました悪魔メフィストに御座います。契約に 基づき貴方様の魂と交換に3つの願いを叶えます」  その物はそう言って顔を上げたがその顔は女の子であった。  「嘘いえ!悪魔メフィストは女の子じゃねぇぞ!」 と言うと、その物は吃驚して、そしてばれたかと言う態度をして、  「…はい、よくご存じで…実は私は悪魔メフィストの姪のメサリーと 申します魔女で御座います。叔父のメフィストは今は年老いたため、姪 の私とメフィストの息子がメフィストを名乗っているので御座います」 と、申し訳なさそうに言った。  元々最初の召還で一級の悪魔を呼び出せる事自体が奇跡に近いことで ある。本物のメフィストは呼び出せなかったが、一応メフィストを名乗 ることが出来る悪魔を呼び出せたのだから、これはこれで仕方がないと 思いつつ、  「では、契約を行う、契約の書を出せ」  「畏まりました」 と、答えてすっと立ち上がったその姿は、どう見ても只の人間であった。  そしてその衣装は、コミックに出てくるような妖艶な衣装ではなく、 タキシードにマントの姿であった…ただ、華奢な体の女の子が男物の服 を着ているせいか、少々ブカブカで、服に着られているような気がした。  あまりにもジロジロ見過ぎたせいか、メサリーは気づいて  「…あのう、この格好ではおかしいですか?」 と聞いてきた。  「ああ…なんか服に着られているようで…」  「はぁ…でも、この格好は悪魔族の召還の正装な物ですから…取り替 えますぅ?」  「そうしてくれ」 と、妖艶なメサリーの姿を想像しながら言った。  「はい…では」 と言ってメサリーの体が煙に包まれると、黒衣にローブに包まれ、つば 広の尖り帽子を被ったメサリーの姿が現れた…その姿を見てがっかりし ている私の顔色を読みとり、  「あら…この姿も気に入りませんか?この姿が本来の私、魔女の正装 なのですが…」 と言って、ローブの裾を持ち上げ、しなを作って見せた。  「…まあ、格好はこの際問うまい、さぁ、契約書を」 と言うと、メサリーは羊の皮の巻物を私に差し出した。  私はそれを受け取り巻物を広げてみると、そこにはいかにもワープロ で書いたような日本語の文章が…そして、その内容の書き方はなんとな く保険の契約書を彷彿とさせるような気がした。  契約書を見てて頭が痛くなったが、横からメサリーが保険の勧誘員み たいに優しく解説してくれた。  しかし、ここ最近の保険業界の倒産事件もある、契約書に書かれてい てメサリーが解説しない部分を読み出そうとしていた。  そうして一通り、読み終わっていざ契約をしようかと思った瞬間、ハ タと思い立ったことがあり、契約書に書こうとした手を止めた。  その行動を見て、メサリーは  「あのぅ…どうかしましたか?」 と訝しがって訪ねた。  「お前、確か魔女だと言ったな?」  「はい…」 キョトンとしてメサリーは答えた。  「じゃ何で、魔女と悪魔の契約を交わさなきゃならんのだ?」  「えっ…?でも…私はメフィストの代理ですから…」  「お前は、魔女だろう?」  「はい…」 と言ったきり、メサリーは黙ってしまった…そして暫くしてから、「し まった!」と言う顔をした。  その顔色を読んで、  「ほら見ろ!」 と突っ込んだ。  「悪魔じゃないから、魂と引き替えに契約する必要はない!」 と言うと、メサリーは困った表情をした。  「そっそれじゃぁ、困りますぅ」 と少し感の高い声で抗議したが、取り合わなかった。  「だから…とっとと帰れ!」 と言い放った。しかし、本当は一度召還された悪魔は契約後、契約を履 行するまで魔界に帰れない事をこの本を読んで知っていたのだが、まだ 契約はしていない…この場合、悪魔は召還した人間を殺して魔界に戻る 事もあると言う記述があるのだが、彼女は魔女であるため、彼女がどう 出るか見たかったのである。  彼女は魔女だから、このまま魔界に帰っても別におかしくはないし、 帰ったら帰ったまでの事と考えた。  …でも、殺されることは考えなかった…  メサリーは暫くぶつぶつつぶやきながら考え事をしていたが、とうと う考えがまとまらず、「アーーーーーーもう!!」と怒鳴り散らすと、  「どうしても契約していただけませんかぁ?」 と、涙目になって泣き落としをかけてきた。  (…こいつ、案外鈍感だぞ…)と思いつつ、  「いやだ!!」 ときっぱり断ると、今度は本当に泣き出した。  たとえ魔女でも女の涙に弱いのは男の常…今度はこちらが宥め役にな ってしまった。  「契約する気は無いのだから、このまま素直に帰っても別に困らない だろう?」  「…でも、契約を履行して魂を持って帰らないと、メフィスト叔父さ んに怒られちゃう…」  「まだ、契約していないのだから、大丈夫だろう?」  するとメサリーは首を横に振って  「うううん、実は私魔界から召還されるのは初めてなの…だから、メ フィスト叔父さんを始めみんなが私を送り出しくれたので、手ぶらで魔 界に帰ることが出来ないの…」 と、ポロリと涙をこぼして言った。  「じゃぁ、どうすれば私を悪魔と認めてくれるの?」 と、涙で潤んでいる瞳に見つめられて怯んだ。  「じゃ、一つだけ契約外で願いを叶えてあげる。そうしたら、私を悪 魔と認めてくれる?」  「…と言ってもなぁ…願いを叶えても魔女じゃなぁ…」 と、なおも言うとメサリーはまた泣き出した。  「いいわよ!このまま帰ってやるわよ!!」 と、涙声でやけになった語気でメサリーは言った。その言葉にホッとし ていると、  「ただし…」 と、気迫のこもった言葉で付け足した。  「ただし?」 その気迫に押されて聞き返すと。  「このままおめおめと帰るのは癪だから、あなたに悪魔と認めさせる ためにお前の身近な者の魂を奪ってやろう…そうだ、お前が私を召還す るときに強く思っていた人物のな…」 と、言い放つと同時に持っていたステッキを顔の前にかざし、なにかし ら呪文を唱えると、メサリーの周辺に再び煙が渦巻き、その煙とともに メサリーは消えてしまった…  その光景にあっけに取られていたが、暫くして正気に戻り、急いで魔 法陣を消し、儀式の道具を片づけた…  …と言うところで、ハッと気が付くとそこは会議室の中であり、涎を 垂らしていた自分の顔に重役のお偉いさん達の目が冷ややかに注がれて いた…  (…嗚呼、夢だったか…) と、半分ホッとしたような残念のような不思議な気がした。  その後は、夢と同じように課長に呼ばれ延々と嫌みを聞かされた…  しょんぼりして家に帰ってそのままふて寝をした。  翌日、いつものように重い足取りで出社すると、部のみんなが騒いで いた。  訳を聞くと、なんと、昨日さんざん嫌みを言っていた課長が急死した のだと…  それを聞いて、なんだか不気味に思えた。  トイレに入って顔を洗っていると、背後から女の声で、  「次はちゃんと契約しましょうね…」 と言う声が…  …なんて、話は現実にはない… 藤次郎正秀